多摩信用金庫本店2階ギャラリー(地域貢献スペース)では、澤井昌平による個展「立川風景」を2024年7月5日(金)まで開催しています。
出品作家の澤井さんから、絵画制作のプロセスや、制作におけるこだわりなどをお聞きしました。
(聞き手・文:たましん美術館学芸員 佐藤)
――展示を企画した経緯を教えてください。
元々、地域貢献スペースの存在は知っていました。地域密着型の展示をやっている印象があったので、立川に住んでいてその周辺の絵を描いている自分の作品も展示のチャンスがあると思い応募したことがきっかけです。
――今回「立川風景」という展示タイトルで、出品作品はすべて風景画です。風景画を中心に制作することになったのはいつからだったのでしょうか。
2021年の1月からです。それまではシュールっぽいものとかコラージュとか人物のドローイングなどを好んで描いていました。シュールな絵を描く時などでも、日常的なものを画面内に入れて、それを導入とするような絵を描いていました。現実の生活と地続きな要素の入った絵を描くのが好きで。100号サイズの絵を1ヶ月とか、時間をかけて描いていました。しかし、コロナ禍の行動制限の時期に、大きい絵をチマチマ描くのは精神的に苦しいなと感じ始めました。そこで、比較的小さいサイズで、近所の風景を一日一枚描くようにしてみたら、精神衛生上かなり良かったんですよね。この一日は無駄ではなかったということを、物体として残す感覚というか。あとは、速く描くことが性に合っていたというのもあります。こういう取り組みを始めてから気づいたことではありますが。
――澤井さんは、武蔵野美術大学の学部と大学院で日本画を学ばれたということなのですが、油絵をメインで手がけていらっしゃるのはなぜなのでしょうか。
もともと高校で3年間油絵を描いていました。でも、予備校の受験絵画でつまずいてしまったんですよね。まだ基礎的な画力もままならないのに「解釈して表現する」ことを求められるような、油絵科の受験特有の方向性がどうも受け入れられなかった。まずは目の前のものを不自由なく描くということができる画力を身につけたいと思い、予備校時代に日本画に転向しました。大学に入れば何でもできる、と思っていたんです。
あと、油絵は自分一人でもできそうだと思っていましたが、日本画については大学で勉強しないと学べないと思い、大学で日本画をやることに損はない、とりあえず日本画をやってみようと思いました。大学に入った時点では、墨や和紙や岩絵具を使ってこれから表現をやっていくぞという確固たる意思は特にないまま、あくまで「学ぶ」という気持ちで取り組んでいたんです。
それで、大学3年生くらいからは、実制作においては日本画から離れていました。日本画は画材のコントロールでエネルギーを消費してしまうというか…。混色することや発色をコントロールするのがとても難しく、「こういう絵を描きたい」という以前のことが難しくて、もどかしいと思ったんです。一方で、半紙に墨でパッと描く、日本画というか禅画的なものがあるじゃないですか。それは性に合っているように感じました。白隠(はくいん)とか仙厓(せんがい)とか、中国の八大山人(はちだいさんじん)とか。真似して描いたりしたこともありました。でもペラペラすぎてそれだけでは展示に耐えられないように感じました。当時、額を買うお金や軸装するお金もなかったですし、作品単体で展示する時の支持体の弱さというか。それが気になってしまった。キャンバスのような堅さというか強さがやっぱり欲しいということで、再び油絵を描き始めました。
――大学院へは、日本画を描きたいというより、制作を続けたいという気持ちで進学されたんですね。
そうですね、それはまずありました。大学院の2年間はとにかく自分の作品を描き溜めることに集中しました。また、当時、武蔵野美術大学には山水画を制作している先生がいまして。自分の学部4年間の勉強では、山水画の分野というのがまだ未開拓だったので、その先生から山水や東洋画について学びたいという思いもありました。
――澤井さんの絵は、そこに様々なルーツがあることを感じさせますよね。
いわゆる“現代アート”を作りたいというよりは、「ただの絵画」で良い絵を描きたいという思いが強いですね。日本の画家なら長谷川利行(はせかわとしゆき)、海外の画家ならロベルト・マッタが特に好きです。
あとはモネやマティス、キース・ヴァン・ドンゲン、サイ・トゥオンブリー、バスキア、フィリップ・ガストンなども好きです。
――作品自体についてもお聞きしていきたいのですが、基本的にはどのようなプロセスで制作を行っているのでしょうか。
自分で撮った写真とエスキースを基にして、キャンバスに描きます。
最初は大まかに色を配置してから、ブラシや面相筆で形を描いたり、拭き取って消したり、といったことを繰り返して描いていきます。キャンバスの地を残すのも好きです。画面の中から絵が出現したという感じが強まって、いいなと思うんです。地が残ることって、狙ってできるものでもないですが、そのことによって、絵の躍動感とか、“描いた”という感じが強まるのが好きですね。
また、絵のやめ時というか、「ここで完成だ」という瞬間は、枚数を重ねる事で徐々に体得していきました。昔は、これで完成でいいのだろうか、と逡巡することが多かったのですが、この4年間ほど毎日油絵を描いてきた中で、絵の完成するタイミングというものがつかめるようになってきた感覚があります。
――絵のサイズや形などについてはいかがですか。今回、たくさんの作品を横一列に並べて展示しているからというのもありますが、展示全体を眺めた時に、四角く切り取られた風景という印象が強かったり、ほとんどが縦構図の風景であることだったり、また、絵の内容から少しそれますが、形やその連続性という部分にもこだわりを感じました。
キャンバスについては、なるべく決まった規格のものを使うようにしています。僕自身、気持ちがどんどん変わっていくというか、とりとめの無いようなところがあり、画風も一定ではありません。それを、同じ形に押し込めるというか、同じ形のキャンバスを連続させることで、自分なりに統一感を出したいという意識があるのではないかと思います。
サイズに関しては、この絵はこの大きさで描いたほうがいいと確信を持って描いているというよりは、その日のコンディションによって大きさを選んでいます。大きめの絵も描きたいのですが、自分のアトリエの狭さとか保管場所の問題で難しいところがあります。
――作家の方の、その時どきの環境に合わせて作品のサイズが変わる、というのは、物理的な問題から生じることなので当然のことではあるのですが、生活と制作のつながりを伝えてくれるお話として、面白いなと感じます。
そうですね、生活と制作のすり合わせでこういうサイズになっていったというところはありますね。もう少し大きい絵も気兼ねなく描けるようになりたいのですが…。広いアトリエが欲しいというのが今の夢です。
――絵の中で、線の勢いがものの形を捉えているというのも澤井さんの特徴だと思うのですが、描線についてこだわりはありますか。
そうですね…、「線で捉える」というのは好きかもしれないですね。ペン画を描いている期間も長かったですし、人物をボールペンで描くというのをしていた期間も長かったので。
――風景を描くときは、先ほど写真を使うというお話がありましたが、現地でのスケッチをもとにする場合もあるんでしょうか。
自分が美大生で日本画学科にいた時には、写真を使うのは邪道で、「スケッチしか信用してはいけない」という風潮があったように思います。それに対しては疑問を持ちつつも、そのように制作していたこともありました。ですが、結論として、良い絵になるなら方法はなんでもいいという考えに至りました。スケッチを描くこともありますが、むしろ、スマートフォンでないと捉えられない風景もありますし、臨機応変にやっていますね。
――動きがあることというのはモチーフとして重要な点ですか?
油絵具特有の粘着性や流動性が絵の中の人や車などの動きとリンクすることがあり、そういうのが面白いと思う事はあります。あとは、絵の中の動きとは別に、「作者の筆の動き」というのがあると思うのですが、それはなるべくありのまま残すようにしています。
――モチーフを選択する時の決め手のようなものはありますか。
あまり深く考えないようにしています。ただ単純に光が綺麗だとか、そういうことには惹かれますね。絵のモチーフとして面白くなりそうかどうかだと思いますけど…。光については、地面が濡れている時の光の反射も面白いですね。色が下に反射するので、描くモチーフとしては面白くて。色を乗せる範囲が多くもなりますし。こういう絵を描き始めて、雨の日が楽しくなりました。
――この《風景》(以下の写真の作品)の、画面下の部分に絵具が厚く塗られているのは、車のヘッドライトの光の反射を表現するためでしょうか?
いや、絵の具の質感をここで急に変えたら面白いかな、とか、そういう理由ですね。絵としての面白さとして、表面的なことを考えて描いているというか。基本的には、風景を描きたいというより、絵を描きたいから風景のかたちを借りているという感覚があります。画面の中で厚みの変化を出すことで、絵として面白くならないだろうかと思って、やっています。
また、具体的な風景だと、例えば店舗の看板などがあると、絵の具で遊びやすいというのもあるかもしれないです。看板のようなリアリティを担保してくれるモチーフを入れると風景として見えてくるから、その他の部分は、例えば人に見えても絵具に見えても大丈夫で。そういう絵は描いていて楽しいというか、いつ完成してもいいというか、そういった気楽さがあるかもしれません。
――他には、絵として惹かれる要素というのはありますか。
長谷川利行の絵もそうですが、当時の生活の感じがはっきりと残っているものに惹かれます。潔癖な感じでミニマルに作り込む絵とか、抽象的な絵よりは、そのまま古臭くなっても構わないから、当時のものが残っているという絵が好きですね。先ほど話した、「看板」もまさに当時のその時代の姿を残すものだと思っているので、わりと好んで描きます。
――日付を残されているのも気になります。また、具体的なタイトルがないのはなぜなのでしょうか。
自分でもいつ描いたかわからなくなることがあって、まず管理しやすいというのがありますね。年だけじゃなくて日付まで書いた方が面白いんじゃないかということがあります。河原温(かわらおん)の《日付絵画》じゃないですが、これが蓄積していくと面白いんじゃないかとか思ったりして。一日一枚描くという、「この日も確かに絵を描いたぞ」という実感を得たいという部分にも繋がっているのかもと思います。
タイトルについては、叙情的な感じにしたくないというのがあり、基本的にはつけたくはないんです。できるだけ《風景》とか《人物》とか、あっても無くてもいいようなタイトルにしています。きっかけはおそらく、マーク・ロスコの《赤の中の黒》とか、そういった即物的なタイトルがかっこいいと思ったからですね。よっぽどのことがないとタイトルはつけません。
――タイトルって、あるだけで作者の存在を意識させるところもあるし、作品の解釈を狭めてしまうことに繋がりかねないところもありますね。
一つ一つ作品にタイトルをつけても、自分がそれらを全部覚えていられる自信もないですし(笑)、無理やりつけるよりかは、《風景》とか《無題》でもいいのですが、そういったものがいいと思ってやっていますね。
――澤井さんは、今回は出品していらっしゃいませんが、コラージュの作品も多く制作しています。画風でいうとかなり今回ご出品の作品群からは離れているように感じられますが、絵画作品としての幅の広さというのも澤井さんの特徴の一つとしてあると思います。
そうですね、インスタレーションとか彫刻の方にはあまり関心が湧きませんが、絵についてはものすごく雑食というか、色々な作品や技法から影響を受けているところがあります。常に興味関心がブレているまま進んでいるような感覚があります。自分がブレているという自覚があるから、その不安感も作品を作り続けることに繋がっているように思います。
――ご自分の作品を、現時点ではどのように捉えていらっしゃいますか。
ずっと模索を続けているような感じです。もっとやりようがあったんじゃないかとか…。これから先、今回の絵とは全く違う作風の絵を描く可能性もあるので、なんかこう、そうなった時にはどうなっちゃうんだろう、とか考えますね。不確定なまま、分からないまま進んできた、という感覚が強いので、個展とか見にこられた方に感動しましたと言われて嬉しく思いつつも、逆にこちらが恐縮してしまうことがほとんどです。自分の表現したいことはこれだ、というのは正直あまりなくて、それよりもたくさんの作品をずらっと並べた時に滲み出てくるものが何なのかを自分で見てみたい、というのがずっと強くあります。
――これからの展望としてはどのようなものがありますか。
今は、風景というモチーフについて、何枚でも描けそうな感覚があります。それがある限りは、風景画の制作を続けると思うのですが、「今描きたい!」という状態の時にとにかくアウトプットしておきたいですね。以前は、ペン画をひたすら描いていた時期がありました。ペン画から風景画へと移ったように、また興味関心が移ったら、違う絵を集中して描くようになるかもしれませんが…。
また、やってみたい展示として、美術館で展示したいというのが目標としてあります。
そして、先ほどもお話したように、何か特定のものを描きたいというよりも、絵を描きたいという気持ちが強くて。しかし何を描くにしても、「現実の生活と地続きなもの」ということは重要な要素としてあり続けると思います。
インタビュー実施日:2024年6月1日
立川風景
会期|2024年5月27日(月)〜7月5日(金)
利用可能時間|午前8時〜午後9時
入場料|無料
会場|地域貢献スペース(多摩信用金庫本店本部棟2階北側通路のギャラリースペースです)
〒190-8681 東京都立川市緑町3-4 多摩信用金庫本店2階
お問い合わせ|042-526-7788(たましん美術館)
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